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2011年4月15日 (金曜日)

褒めたって、育たない人もいる - 1.日々の雑記

褒めて育つ、または伸びるタイプの人がいる。

時に、僕は(私は)褒めて育つタイプだ、叱られたりすると落ち込んで(萎縮して)しまう。そのような発言を聞くことが多いのも事実である。これらのことは子供の頃に叱られたことが少なく、叱られること自体に慣れていないことに起因したり、また一方的に叱られることが原因であったりなど、本質的には双方のコミュニケーションの取り方の問題であることが多いのではないだろうか。

そのような人たちの中には、叱られるようなことを平気でしておきながら、その結果を反省したり正すことをせず(できず)に叱らないで欲しい、と甘えているだけのタイプがいる。

常に誰かに守られて育っていると、ひとりでは困難な出来事の矢面に立つことができず、目の前の問題から逃避することしかできない。褒めるとぬくぬくとつけあがり、叱ると萎縮する。決してひとりでは立ち上がることができず、まるで転んだ子供が母親から手を引いてもらわないと起き上がることができない光景に、とても良く似ている。拗ねてイジケてただただ泣き続け、声を掛けてもらえることを待ち続ける。そんな状態の時に「ひとりで起き上がることもできないのか、ダメな奴だ」などと言うものなら、睨みつけられて逆切れされる羽目に陥ったり、どうせ僕は(私は)などと居直ったりする。

とてもたちが悪いタイプの人たちである。

このような人たちの特徴は、自らが何かの行動を起こすことや自分自身で決断したり奮起したりすることが、とても苦手だと言うことである。叱られて萎縮した時に、自分自身で起き上がることができないため、人から立たせてもらわない限りは決して起き上がることができない。そんな時に、やさしい言葉をかけられて立ち上がることはできたとしても、辛い思いをすることから常に逃避する傾向にあるため、自分自身を見つめ直して修正することができずに、また同じ過ちを繰り返してしまう。何もせずに落ち込んでいれば、また誰かがやさしい言葉をかけてくれるだろうと、甘え続けているだけなのである。

周囲の人たちとの触れ合いが少なく(乏しく)して育ったせいか、周りの人たちとのコミュニケーションや触れ合いながら人間形成するとの意識が希薄であり、自分のことしか興味が持てなくなっている。その割には愛情に飢えているため、人から愛されたいと常に思っているが、周囲とどのように接したら良いのか未だに分からないのも彼らの特徴の一つでもある。

褒めて育つタイプを正しく解釈するのなら、自分のやったことやしたことを正しく評価して欲しい、理解して欲しい。そしてその結果が良いと思うのなら、褒めて欲しい。自分自身もよくやったと思うことを、他人も認めてくれて互いに同じ思いとなったことが、とても嬉しくなる。なので、また頑張りたくなった。そのようなことではないだろうか。

頑張った人だからこそ認めてもらえることであり、努力もせずに辛いことから目を背けて逃避しかしない人は、いくら褒めたって、決して育つことはないのである。

wrote by Satoshi Ohtani : 2011年4月15日 07:00

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