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2011年7月23日 (土曜日)
わからないことが、わからない - 1.日々の雑記
「考えてもわからない」、「さんざん考えてみたけど、やっぱりわからなかった」などと言う声を耳にする。しかし、それは考えていないことへの言い訳にすぎない。
大意は把握でき、「何となく、わかった」と感じたとしても、あくまでも相手の気持ちや意向についてわかっただけで、言葉で伝えられた内容の理解についてはかなり曖昧だということではないだろうか。
そんなとき、雑談や何気ない会話での「何となく」は許されても、社会生活の重要な局面での会話においては、誰が、いつまでに、何を、どのようになどといった提示された情報も含めた事実についての理解を、曖昧にしたままわかっていると勘違いしていることに早く気づかなければならない。この最初の出発点の理解がずれていると、その後のプロセスに支障をきたすことになり、想像や知識すら備わらずに、ひいては疑問すら湧かないことになる。
「わからないことが、わからない」は、わかっていないことすら気づいていないことであり、自分が何についてわからないかを知ろうともせず、整理もしないまま野放しに放置していることである。
人はどんなに優秀な人に教えを乞たり、どんなに素晴らしい教材で教育を受けたとしても、自分の頭と言葉でもう一度考え直さない限り、正確には理解できないものである。教えればわかる訳でもないし、学べば必ず理解できるものでもない。知識とか知恵というものは、自分の外側に百科事典のようにあるものではないし、自分の頭が理解して自分の中で生きているのが知識であり知恵である。そのためには、自分の頭で一つ一つ考え直して理解していくという努力と我慢が必要なのである。スポーツ選手が毎日のトレーニングの積み重ねの中から、苦労して会得した自分なりのやり方やタイミングなどと同じように、頭の中の考えも自分の中で咀嚼して考えることをしない限り、本当の意味での理解には到達しないのである。
わからないことに気づいて「何となく、わかった」と勘違いしないために、内容の細部までを正確に理解し把握したいのならば、一つ一つの疑問を分類し整理しながら、その答えを導くための地道な努力と我慢が必要だということである。
参考著書:白取晴彦(2005)『頭がよくなる思考術』ディスカヴァー・トゥエンティワン
wrote by Satoshi Ohtani : 2011年7月23日 07:00
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