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2012年3月 5日 (月曜日)

第44回 「習慣化を考える」の感想 - 2.コラム

[2012/03/05] 第44回 「習慣化を考える」

習慣化とは、どうなるべきか(様態や状態)であって結果を表現したものです。また生活とは、日々の営みの全てを総称したものです。

生活のメニューに、または一部に行動を組み込むのなら、

・生活の中に、新たな一つとしてメニューを追加する
・生活の中の、既存のメニューを修正する
・そもそも生活に対する考え方(過ごし方や姿勢)を、根本的に見直す

しかありません。

その生活のメニュー(行為、行動)の中には、継続して行うべきものと単発(その時だけ)で行うもの、大別すると2種類あります。さらに、その時の欲求や要望により対処が異なるものや、機械的かつある一定の条件で行うものもあれば、難しかったり嫌だとしても必ず行わなければならないものなど、多岐にわたっていると思います。

まず、今回のコラムは「なぜ、続けられないんだろう、私は」とのテーマと理解しています。とてもシンプルなテーマです。「なぜ続けられないんだろう、そして続けるためにはどうしたら良いのか」なのですから。前述の点を整理しないまま、どうも手段(その行為、続けるという行動)だけが論点となっているように思います。


例えば、ウォーキングを継続して続けられないことをあげた時に、「ウォーキング」を継続して行いたいのか「有酸素運動」をしたいのか、そもそもその本当の理由(目的)は何なのだろうです。そして自分自身の、それに対するその必要性ではないでしょうか。

まずは簡単なことから始めるまたはやってみるは、興味を持って良い対象かどうかの判断の際に行うべきことです。やるべきかやらなくても良いかの判断が難しい、またはそれを考えるよりも体感したい場合などに用いるアプローチだと思います。したがって、そのことができなかったり続かなかったとしても、後悔や自己否定などするはずがありません。そのことがわかったり判断できたことで、新たな気持ちで前に進めるはずだからです。

「少しずつできることから、一歩ずつ」とは、簡単とか難しいなどの段階やレベルを示しているのではありません。必要だと定義されている、たとえば10個のうちの1個から(一つずつ)、丁寧に成熟または昇華させていく(上げていく)といった範囲を示しています。

そもそも、程度が低いとできて高いとできないのは、要するにそれではできない(必要としない、困っていない、放棄したい)ということです。本当に必要であるならば、やるだろうし、やらねばならないのであって逃げられないのではないですか。物事の本質と定義そのものを曲げて解釈すると同時に、レベル自体をどんどん下げていては、根本的な解決には遠ざかっているだけで行き着くはずがないと思います。

毎日30分歩く行為を諦めて週末に歩くとレベルを下げたとしても、そもそも最初の目的に近づいているのでしょうか。これから徐々にレベルを上げるといっても、本当に上げられるのでしょうか。もし簡単に上げられるというのなら、なぜ最初からできないのでしょうか。そのできるのではとの根拠は、どこにあるのでしょう。

ここで「目標」について考えてみますが、そもそもその「目標」が本当に必要かどうかです。「自分なりの行動」とは、何を指しているのでしょうか。必要か必要ではないかを指しているとは、とても想像できませんでした。

なんとなく憧れたり、人のものを模倣してみたり、カッコいいなと思って始めようとする程度の漠然とした目標ならば、そもそもいま本当に自分は必要としているのか、それをしないと困ってしまうのかと、自問自答することが大切です。

そもそもその程度の欲求なのですから、続けられなくても良いのであって、できないしないのはある意味では正しい姿です。そんなに真剣に考えている訳ではないので、できなくたって別にどうってことはないのですから。まずはそのこと自身に本当に興味を持っているか、実現したいという真剣な気持ちを持てるのか、ならば持つためにはまずは何をすべきかを考えるべきです。

レベルを下げて実現できたことが、すなわち興味を持っていることとは相違すると理解すべきです。

健康維持のために(本当の真の目的は分かりませんが)、本当に有酸素運動をしたいと真剣に思うのなら、自宅で「スクワット運動」や「踏み台昇降運動」など手軽で簡単に行える運動がたくさんあります。雨が降ったり雪が降ったとしても、就寝前やお風呂前に30分程度行えばすむことだと考えられれば、毎日だとしても苦にはならないことでしょう。

手段のレベルを下げるのではなく、敷居を下げた(取り掛かりやすい)他の手段にすることで、いくらでも実現することができます。本当にそれを必要としているのならばです。

言い訳をする人の多くは、自分以外の外に自己否定の原因(理由)を求めている人です。自分が決して悪い訳ではなくて、誰かが何かが邪魔をするからできないと定義する人です。自分以外の外に理由を求めている限り無限の理由が存在してしまい、きりがありません。

さらに自分は悪くないので、自分を変える(変わる)必要性を感じないため、かえって根を深くしています。

言い訳をしてはいけないのではありません、言い訳を最終的には自分に対して向けていかないと、何も解決しないですよということです。自分のダメな箇所を見つけて真摯に受け止めては、自分のここがいけないのだから、今度はこうして変えてやってみよう。そこを少し直して、またチャレンジしてみようなどです。原因や理由が自分にあるのだから、昨日と違う自分に、自分自身を変えていくしかないのです。

一見すると、正しい考え方でありアプローチと錯覚してしまっている点が、かえって根の深さを物語っていると思い、とても苦慮したコラムです。

wrote by Satoshi Ohtani : 2012年3月 5日 08:30

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