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2012年5月 7日 (月曜日)

第46回 「判断」の所感 - 2.コラム

[2012/05/07] 第46回 「判断」

今回のコラムテーマは「判断」であり、日頃から判断する場面で苦慮する感情を吐露したものです。

サブテーマとしては、「その判断は、誰のためにしている(する)のか?」となります。

その判断は何のためであり誰のためなのか、自分だけの利己欲のためになってはいないだろうかです。

人は常に何らかの判断を迫られながら生活をしています。

食事をする、就寝する、勉強や仕事の場面など、自分自身で簡単に判断できるものから、単独では判断すべきではないものなど多種多様です。

判断する際に、全ての周りの人が満足できる(誰しもが文句を言わない、不満のない)、「最適な答え」を誰しもが求めます。

満足とは、いったい何なのだろうか。

全ての人が満足する事象とは、判断の不必要な単なる選択であり判断とは呼ばないのでは、そんなことも思います。

だからこそ、その判断に至ったプロセスの中には、利己欲ではない何かのため、誰かのため、その人のためになるような確固とした考えに寄った理由が入っていなければ、適切な答えとは言えないと思います。

一生懸命に判断するための材料を集めて整理したとしても、何のために結論や結果を求めているのだろうか。

それはいったい誰のために求められているのかを、最も重要視すべきではないでしょうか。

そのためには、自分の欲求を抑制(我慢)することも、時には必要ではと思います。

周辺で時々見受けられる行為として、

・自分の一方的な価値観で、他人が作ったプログラムを修正したり
・自分が認められたいなどのプライドのために、頼んでもいない仕事に興味を持ったり
など

自分さえ良ければ、自分さえ納得できれば、自分が満足できるならば、そんな自分が満足することを優先している人を周りで見かけることがあり、嫌悪感を覚えることさえあります。

判断するに値しない人たちと心中することを選択しないためにも、重要視すべきことを適切に判断することが大切である。

そんな周りの行為を見ていて感じた思いを、吐露したコラムです。

wrote by Satoshi Ohtani : 2012年5月 7日 08:30

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