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2012年7月 2日 (月曜日)

第48回 「古きを知り新しきを生む精神」の感想 - 2.コラム

[2012/07/02] 第48回 「古きを知り新しきを生む精神」

ガラスの仮面は、作者が「普遍的な作品となることを目指しモチーフなどに同時代性を持たせないようにしていた」(Wikipediaから)とのことです。

同時代性を感じさせないような作品への配慮は、芸術性の高い作品(絵画、彫刻、他のアート作品など)を表現したい方(作者、製作者など)が特に意識することだと理解しています。この作者も同様に、読者にある特定の時代や空気感が伝わってしまうことによって、作品の伝わり方が人によって偏ってしまい、「普遍的な作品」の一貫としたメッセージ性が破壊されてしまうことを、避けたかったのではないかと思います。

そのためにもある時代を特定した表現は極力はしないようにとの配慮なのでしょうから、携帯電話を登場させることは論外としても、コラム執筆者がダイヤル式の黒電話(固定電話)を使った方が良いと考える理由、さらにそれを勧める理由が、私には理解することができません。同時代性をもたせない、時代背景を特定しないような配慮を施した芸術性を追求した作品から、なぜ「古いものを継承する」ことが大切ではと発想してしまったのか、とてもコラム執筆者の心の中をくみ取ることができませんでした。

さらに「古い」と「新しい」を対比させたときの一般的な議論のポイントとして、

[1]昔の景色や風景(現代と違った古い時代の変化と違い)
[2]古くても良いもの(古くても新しくても良いものがある)
[3]古き時代を懐かしむ気持ちを大切にしたい(懐古主義)

大別すると概ね上記の3つではないかと思います。

本コラムは、大方[3]を気にして書き始めたのではと思われますが、どうも途中に[2]や[1]もポイントとして登場しています。

よって、このコラムでは何を伝えたいのか、とても不明瞭です。また、古いものとして継承したい、大切にしたい(敬意と表現していましたが)ものが、いったい何を指しているのかも、とても不明瞭です。

もし仮に懐古主義としてのみ感じて書きたいと思ったのならば、川で魚を素手で捕ったり遊んだりできた、本当に昔は良かったなぁなどと、昔を懐かしむ気持ちを主体にして書けば良いのではと思います。そこから何かを学んだり、特に何かのメッセージがある訳ではないのですから。(悪いことではありません)


さらに、コラムの文頭に、「この作品は長期連載を考え、時代を特定しない風景や服装、小物などに気を配っていると聞いていたからだ。」とあります。

前述したように芸術性を重視する作者が、時代を特定しない描写とする理由は、同時に長期連載になることも考えていたということになります。この作者は、はたしてそんなことを考えて執筆するのだろうかと、とても疑問が湧きました。

以下は、やはりWikipediaにて掲載されていた記事です。
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「ガラスの仮面」は隔週誌『花とゆめ』(白泉社)に1975年(昭和50年)年発売の1976年1号から30年以上連載されている。長期連載となった本作だが、美内すずえは2巻程度で終わらせる構想であった。
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コラムには伝え聞いたとのニュアンスで書かれていますので、あまり影響はありませんが、あまり事実に反することは控えていた方が良いかもしれません。

wrote by Satoshi Ohtani : 2012年7月 2日 08:30

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